FOUNDING
PHILOSOPHY
存続と継続
なんでもヤラカス精神
時は、日清戦争後の戦勝景気の真っ只中。
所は商都大阪新天満橋。
「人のやらない新しい商売をやってみたい。」
そう考えていた中許栄之助は橋の下から聞こえてくる歌に
魅せられたように立ちつくしていた。
「そうれ やらかせ どっこいしょ」
材木の荷揚げ人夫たちの陽気な歌である。
その歌は栄之助の耳の中で早鐘のように鳴り響いた。
彼は家にとんで帰り、辞書を開いた。
【家良嘉寿】家が良くなり、喜び寿く
【弥樂加寿】いよいよ楽しく、良き年を加える
【ヤラカス】ご要望に応じて、何でもヤラカス。
「ヤラカス舘!」視界が開けた。
片カナの屋号も、鹿鳴館を想起させる舘の屋号も
当時にあっては斬新なものであった。
こうしてヤラカス舘は明治二十九年(一八九六)一月二十一日、
船場の瓦町二丁目に開業する運びとなった。
旧社名である“ヤラカス舘”の商号は船場の荷揚げ人夫の陽気な歌の中から生まれてきた。